長崎市公会堂建設に奔走した男

3月22日に、私は長崎市公会堂を訪れました
劇団しっぽくパラダイスが主催した、ながさき芝居「龍の息」を観劇してきました
この長崎市公会堂は老朽化しているため建て替え?など検討されていますが、この長崎市公会堂の建設に昭和初期に奔走したひとりの翁がいらっしゃいます
古賀重太郎さんは、古賀広告美術社社長古賀巌さん(佐世保在住)の祖祖父さんであります
今回長崎市公会堂に行く話をしたら、古賀巌君が是非祖祖父の銅像を見てきてくださいというので見てきましたが、長崎市公会堂建設に奔走し寄贈した方とは知らずびっくりした次第なのです、、、。
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1962年以前にも公会堂があった証
長崎市公会堂は現在のものが最初ではありません。昭和5年、古賀重太郎氏が袋町(現 栄町)のキリスト教青年会館とその敷地をともに買収し改装費を添えて市に寄贈しました。これによって長崎で初めての公会堂が落成しました。
昭和20年の原爆投下の二次火災により、当時の公会堂の姿はなくなってしまいましたが、その栄誉を称え、同氏の銅像が今も入り口正面に設置されています。
現存する資料が少なく、その後、今日の長崎市公会堂の完成(1962年)に至るまでの経緯は明らかではありません。

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古賀重太郎翁顕彰記
昭和5年、古賀重太郎翁は市民多年の願望であった公会堂の設置を実現するため袋町のキリスト教青年会館と、その敷地を買収し、これに改装費を添えて市に寄贈された。
これによってわが長崎ははじめて、公会堂をもつことになったが昭和20年原子爆弾により惜しくも荒廃に帰した。
今日ここに新しい公会堂の完成を見るに当たり、翁を追慕し、そのご功績を永く顕彰する。

昭和37年6月2日
長崎市長 田川 務

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オランダ刺繍の緞帳
NBC長崎放送から寄贈されたポルトガル船出入港の様子が描かれた豪華な緞帳(どんちょう) も開館当時から残るもののひとつです。サイズは縦9.5メートル、横20メートルで、制作費は1962年当時845万円。
安土桃山時代・江戸時代の絵師、狩野内膳(かのうないぜん)が描いた南蛮屏風(なんばんびょうぶ)をもとに京都の専門店がオランダ刺繍(ししゅう)を施しました。開館から53年も経つ現在でもその風情は見事です。